街の銭湯と私
大阪に来て街の銭湯が多いなと目につく
それでも一人で入浴するにはハードルが高い。
この年令になり
何かとお出かけも含めて多くなり
時間の自由な人との過ごし方の1部に
銭湯の楽しさを味わえるようになった。
かれこれ20年ほど前になるだろうか?
30代はじめの頃だったか?
浅草の街の片隅にある銭湯に誘われた記憶が1度印象に残っている。
東京へ興味がある集まりに参加して、
知り合いの部屋に泊まると
風情がある街の銭湯へ連れて行かれた。
「いい場所があるんだよね〜と」
温泉好きな知り合いで
温泉巡りをするのですが、過去に
偶然にも長野方面?でも合流した記憶がある。
町外れにあり小さな小屋?母屋?で数百円払い
湧き出る温泉に入り
「お世話になりました!いい湯でした!」と解散する。
もちろん飲み物は牛乳瓶のもの、
浅草では蓋が紙でビニールが覆われていた。
味がある銭湯では木の桶だったりする。
しかし、建物は古く私は好きですが、
そのような場所に誘うときは人を選択しなくてはいけない。
結局、誘える友人知人、家族でもなかなか難しい。
中には、この歴史ある空間や
情緒的な部分がまだ感じられない人も少なくはない。
例えば食事場所で言えば
無難なよくある居酒屋がいいのか?
高級な場所を好むのか?
新しい場所を好むのか?
人気な場所がいいのか?
人それぞれの好みがある。
食事処も街の歴史ある場所もあるのですが…(笑)
入浴バージョンでは
現在では大浴場が増えて岩盤浴など
大型店舗も若者で賑わっている。
そんな場所はきれいで大きく
古びた感じはしない。
オシャレさと便利さと、
娯楽施設として長時間いられるサービスがある。
もちろん人が賑わう。
若者が中心でもあるような…。(笑)
もちろん時間があり、
ゆっくりしたいときは岩盤浴がある場所に行きたい。
しかし今回は銭湯である。
体が冷える寒い季節や
毎日の入浴代わりに立ち寄る場所。
今住んでいる場所には歩いて行ける
昔ながらの町の銭湯が
3件ほどひっそりと営業している。
そう。
「ゆ」と書かれたのれんがある場所である。
ココ最近の話ではあるが
いつもシャワーのみで
過ごしてしまう癖のある私は
誘われると
お風呂セットを持って飛び出す。
すると、440円で入浴できる。
440円が安いのか?高いのか?人それぞれではあるが
その440円にはタイムスリップしたかのような感覚が蘇ります。
この文明社会に属さないような体感が視覚から味わえる。
まず、男性と女性の場所が天井ではつながっていること!
見えないけど話し声が聞こえたりする。
(誰も話さないけど…)(笑)
富士山の絵はもちろんないですが、炭酸湯や小さな露天風呂
入れない電気風呂や水風呂、泡風呂などいくつかある。
今でかけている銭湯の桶は、
黄色や緑、オレンジ色のプラスティック桶で
医薬品?のケロリンと書かれているものが積み上げてある。
(医薬品会社の広告あり(笑))
それを手に取り使用して、終わるともとに戻す。
黙ったまま入浴していると
このノスタルジックな空気感は
子供の頃を思い出す。
お風呂のない部屋だったからか?
母親と銭湯に出かけて体を洗ってもらう
「走るんじゃないの!ほら転ぶでしょ!」と
注意されるからか?楽しい場所の記憶ではない
思い出が蘇る。(笑)
いつからか?銭湯がなくなり
月日が流れて、また銭湯を楽しむ自分に笑えたりする。
そう。歳をとったなとも思えたり…(笑)
知らない人に体を見られるのが恥ずかしくて
(誰も見ていないのに・・・(笑))
そんな自分から脱皮して
人の目より、その場の空気感を楽しめる自分が面白い。
何よりも、とにかく文明が…
時間が止まったままのような感じがするのである。
古い建物や古いものを見ると
その時代をイメージするような体験版でもあるような気がする。
靴のロッカーや脱衣所のロッカー
古いままがこれまた味が出る。
ここまで来ると、
セキュリティーとかどうでも良くなる。
これが鍵なんだな〜と楽しくも感じる。
ある意味、タイムとラベラーでもある。
きっと、当時は賑わっていた様子が感じられる。
「場所取りをしないでください!」と書かれた注意書きや
桶の数なども多く積み上げられ…
実際には女性の場所は3人〜5人の事が多い気がします。
雨の日は少なく、週末は家族で銭湯に来ている人も多い。
駐車場だけは、なぜか?
セキュリティーが厳重なのも面白く大きなモニターで公開されている。
お湯をためて入浴する癖がないからか?
銭湯では
温度の高い湯船に浸かると
ついつい声が出てしまうのは言うまでもない。
大型銭湯よりも、独り占めできる湯船は最高。
(人が少ないからね。(笑))
そうそう。
プライバシーを保護した
自宅の入浴。(便利・快適)
それもとてもいいのだが、
それが当たり前になると、
逆に人の集まる場所へでかけ
人の存在を気にしながら
入浴して帰る事がまた一つの
乙な時間とも言えるのかもしれない。
PS
人の目や人に気を使う事や馴染むことは
昔は、自然なこのような場所から無意識に身につけたり
礼儀やマナーを学んでいたのかもしれないと思う時間でした。
そう。昭和42年前後の話です。