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魂のゆくへ

魂のゆくへ

人は死んだらどうなるのか?どこへゆくのか?

知らないからこそ死は怖いものと想う

死は様々な形で訪れる。

誕生してから誰もが死を迎える日が必ず来るもの。

しかし人は日常に追われて

生きている事の重要性や素晴らしさを忘れてしまう。

病気で亡くなる人もいれば

事故で亡くなる人も

そして自分の手で終りを迎える人も…

事故よりも自殺者の数は多い。

このような重いBlogになるのは

姪ちゃんが、この年末に自ら死を選択したからです。

自己責任・選択とは言え、

周りに多くの疑問や悲しみや葛藤を残して

この世から彼女は消えました。

しかし消えたと言っても肉体の存在は消えましたが

魂は消えないのを私は知っています。

何故なら、何度も催眠事故で

さまよっている魂と対話しているからです。

催眠事故と私は決めていますが、催眠で記憶を蘇らせたり

現在のトラウマを過去の修正に使う催眠です。

そこへ、通りすがりの?いいえ

彷徨魂がまれに入り込んでくる事があるのです。

何度となく原因や気持ちを聞いてきました。

魂という言葉でいいのか?

何なのかは定かではありません。

しかしその催眠事故でさえ、意味があるのだろうと

親身になって向き合っていた時期がありました。

それは、肉体がある人でも無いとしても同じです。

話を聞いてどうしたいのか?

それが全ての道でした。

そこは皆、暗い場所と聞いています。

そして、そのつらい気持ちのまま

何年も何十年も何百年もさまよう存在なのでした。

似た境遇の人や気持ちを感じては、そばに…

そんなパターンの話を何度となく聞いてきました。

その世界は死んでみないと私にも確認できません。

しかし、今回の身内の死で触れないできた部分に

そろそろ触れていかなくてはいけない時期なのかとも思い

まずはBlogにしました。

きっと今の私の姿はFB・インスタも含めて

ただ楽しんでいるおばさんに見える事でしょう。

忙しく何かと活動的に動いている人に…

私が伝えたいのは、

人生を楽しくするのは自分自身であることを伝えたいのです。

生き様も含めてです。

学ぶことも、友達を選ぶことも、何を仕事にするのかも

何を大切にして、何を表現するのかもです。

孤独は誰もが抱えているものと私は捉えています。

どんなに仲良くしていても

どんなに友達がたくさんいても

皆、孤独であるからこそ、繋がり合いながら学び

繋がり合いながら時間の共有をし

家族であっても、恋人でも

それぞれの人生だと想うからなのです。

嫌なことも、辛いことも、人生には沢山あります。

私も現実が辛く「死にたい」と思ったこともありました。

きっとそれは誰もが1度はあるものです。

しかし、人生は何処まで生きられるかわかりませんが

その苦しみや辛さは永遠ではないと私は思っています。

些細な人生での選択で、変化がかならず訪れるものです。

友達選びも同じかもしれません。

もちろん、相手を思いやる気持ちと姿勢(行動・言葉)

が無ければ人ともうまく関われないででしょう。

それも含めて人生は学びではないかと思うのが今の私です。

楽しく過ごす裏には

常に関わり方を考えさせられています。

大切だからこその言葉使い

大切だからこその言葉のかけ方やタイミングかと。

不快感にならないように気遣うことが

人を大切に想う部分なのかもしれませんね。

今でも、まだまだ関わる人数が増えると

的確な言葉を返信できません。

器の小さな人間です。

未熟だからこそ生きる理由にも

なっているようにも思うのですが…

時間をどう使うのか?

楽しいことを企画するのか?

楽しいことを我慢するのか?

それが生き方です。

しかし、楽になりたくて死を選び

本当に楽になるならお勧めします。

でも、私の知る限り楽になるどころか、

肉体を失い気持ちだけが残るなんて

もう一つの苦を背負うようなものでしか私には思えません。

自分で死を選ぶ事は

見えない暗がりの箱の中から出られない様なものなのです。

(私が知る限りですが)

死を迎えるにあたり大切なことがあります。

想い出です。

現金は持っていけませんが、経験や想い出は

こころに残り持って行けるものだからです。

出逢った人との関わりで感じたこともです。

この様な話ができるのは、

沢山の前世での最期を対話してきたからです。

もちろん私も、

臨死体験に似た経験があるからなのですが…(笑)

私が生きる上で選択しているのは

人を大切にする人と関わり

そしてその人を大切にする事を基本にして生きています。

優しい人は、人を大切にします。

しかし、その人(相手)は人を大切にしているのか?

損得で関わる関係はどうなのか?ですね。

それと、残りの人生で知らない場所へ脚を運び、

何を感じるのか?

感じることが手に入れられる宝だからです。

死んだら何処へ行くかわからない魂ですが

今も、生きていても魂を磨いていると私は思っています。

死を自分で選択する事は

彷徨かもしれない自分の魂を、

せめて自分自身で大切にしてほしいと思うのですが

生きていても魂は磨かれていると思う私です。

メンタルを扱う人は奥深く探求する先には

見えない世界も関与してきます。

何故なら心は見えないものだからです。

自ら終りを迎える事は決して楽になることではない。

それを伝え残す為にBlogに…

Tanaka Chieko

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